Something Fine : Alive In The World : People

people ジャクソン・ブラウンをめぐる人々

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A

オールマン・ブラザーズ・バンド The Allman Brothers Band

彼らのアルバムの中でブラウンの作品をとりあげたほか,個人的にも親しく付き合っていたようだ.ブラウンは彼らからエレキギターを送られたことがあるという.


B

スティーヴン・ビコ Steven Biko

南アフリカ共和国の,反アパルトヘイト活動家.警察による拷問の結果,1977年9月に死去した.

彼を題材にした映画が,その死後制作された( "Cry Freedom" 邦題「遠い夜明け」).彼の死を歌った曲が,ピーター・ゲイブリエルの "Biko" .1986年のジャパン・エイドの最後に演奏されたのはこの曲だった.


セヴェリン・ブラウン Severin Browne

ジャクソンの実の弟セヴェリン・ブラウンも,歌手そしてソングライターとして,アルバムを何枚か発表しています.以下メーリングリスト "Harvest" より:

ところで、"Stay"なんですが、JBのものとは全く違います。
これは、彼のオリジナルです。AOR的な「ノリの良い」
リズム カッティング ギターが聴ける佳曲に仕上がっています。
(JBのは、カヴァー曲ですよね。)

Sneaky Pete はファーストの曲"Darling Christina" で
ウエスタン・スイングっぽく弾いているのです。
そう、セヴェリン・ブラウンの音楽性っていうのは、
カントリー、フォーク、R&Bもちょこっと...っていう、70年代
もろ丸出しシンガーソングライターってとこでしょうか。
(もちろん、十分にロックしてますよ)

(Submitted by Yuji Nakamura)

See also:

Severinbrowne.com


ローズマリー・バトラー Rosemary Butler

歌手.もともとボニー・レイットリンダ・ロンシュタットのバックで歌っていた.

ジャクソン・ブラウンの作品には1976年の "THE PRETENDER" に収録された "Here Comes Those Tears Again" に,レイットとともにハーモニーヴォーカルで参加."RUNNING ON EMPTY" のツァーでは,正式にバンドのメンバーになった.このアルバムの最後に収録された "Stay" では,彼女のインパクトにあふれたソロ・ヴォーカルが,曲のハイライトとなっている.

1980年には "HOLD OUT"ツァーに同行して来日もしています.僕は武道館の公演を見ましたが,会場を一瞬で沸き立たせる声の持ち主ですね.

その後ソロアルバムを出したほか,日本の角川映画のために何曲か歌い,録音しています.


C

ヴァレリー・カーター Valerie Carter

歌手.1976年発表のジャクソン・ブラウン "THE PRETENDER" において,ロウエル・ジョージとともに謝辞を捧げられた彼女は, "RUNNING ON EMPTY" では, "Love Needs A Heart" を,ロウエル・ジョージ,ジャクソン・ブラウンと3人で共作している.1992年・1998年のジャクソン・ブラウンのワールド・ツァーにも,シンガーとして同行した.ゲスト参加した96年の日本公演からは,この曲のリード・ヴォーカルを彼女が歌うシーンが,ショウの見せ場の一つとなった.

1996年発表の久しぶりのソロ・アルバムでは,共作者の一人も参加した "Love Needs A Heart" のアザー・バージョンが聴けるほか,ジャクソン・ブラウン関係者も多数参加した作品となっている.


グレッグ・コープランド Greg Copeland

ブラウンが入学したサニー・ヒルズ高校に先輩として在学していた.フォーク・ソングに熱狂し,曲を書いてはギターを弾いて歌い,ボブ・ディランの音楽を紹介し,遠く外国へ旅した彼は,在学中からブラウンにさまざまな影響を与えた.卒業後サンフランシスコの大学に進み,のちに旅の仲間となるアダム・セイラーと出会う.

後に彼自身も歌手としてデビューするほか(1982年),ブラウンの "LIVES IN THE BALANCE""Candy" という曲を提供している.


デヴィッド・クロスビー David Crosby

ミュージシャン.クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤングなどの活動で有名.

ブラウンとの出会いは,無名時代のブラウンのショウをクロスビーが見て楽屋を訪ねたときだったそうだ.その時すでに有名な歌手だったクロスビーは,ブラウンのデビューに手を貸すようなことを言ったらしいが,結果的に口約束で終わったため,しばらく口もきかなかったりした時期もあったという.

そんな時期もへて,アーティスト同志としての交友がはじまると,彼らは深い友情で結ばれた.クロスビーはブラウンのアルバムの録音にしばしば参加しているばかりでなく,ブラウンの重要ないくつかの曲は,クロスビーとの付き合いの中で生まれたもののようだ.古いものでは "For Everyman" ,最近では "LOOKING EAST" に収録された "Alive In The World" がそうだ.

最近きいた話.クロスビーは生き別れになって長年消息がつかめなかった息子と,近年になって再会したという話が知られているが,息子のほうもはやり長年,父親探しをしていたそうだ.真実を知るまでは,「自分の本当の父親がジャクソン・ブラウンだったらなぁ」などと,よく思っていたらしい.彼らの何というのか,不思議な縁を感じさせる.

See also:

4 Way Street


D

ヘンリ・ディルツ Henry Diltz

写真家.ロック・アーティストを数多く撮影しているが,ジャクソン・ブラウンやイーグルスら,70年代の LA周辺のミュージシャン達のスナップショットは,とりわけ印象深い.

彼の作品は,彼自身のウェブサイトをはじめ,クラブトルバドールwww.corbis.com で見ることができる.

See Also:

Henry's Gallery


ネッド・ドヒニー Ned Doheny

LA出身の歌手/ソングライター/ミュージシャン.旧家の生まれで,彼の家族の名前を冠した通りが LAにはある.クラブトルバドールはこの通りに面した場所にあるようだ.街育ちの人らしい洗練された軽みが,彼の音楽の味.

1967年エレクトラ・ミュージック・ランチで,ジャクソン・ブラウンと知り合う.結局二人ともこのプロジェクトでは成功できなかったが,その後も彼らの友情は続いたようだ.ブラウンがデヴィッド・ゲフィンに送ったデモテープでは,彼がハーモニーをつけていたといわれている.

See Also:

Ned Doneny - West Coast Rock


E

イーグルス Eagles

1970年代の LAを代表するロック・バンド.のわりには LA出身者がいないのだが,そのこと自体がまた LAが生んだバンドたるゆえんでもあるだろう.「誰もが曲を書けて,歌えて,ルックスもいい,そんなバンドをつくってしこたま儲けようぜ」とかなんとかグレン・フレイがドン・ヘンリーにもちかけて,リンダ・ロンシュタットのバンドのメンバーを中心に結成したとされる(本当だろうか).

彼らのデビュー・シングルは,ブラウンがグレン・フレイにあげたという Take It Easy だ.アサイラム・レコーズと契約したのも,ブラウンからデヴィッド・ゲフィンへの強力な推薦があったようだ.しかしそれ以降の大成功ぶりは,改めて書く必要もない.

See Also:

Eagles - West Coast Rock


F

グレン・フライ Grenn Frey

デトロイト出身.イーグルスの中心メンバー.バンドを解散させてからの活動ぶりは,何だかふっきれたような感じがする.

LAに出てきたもののまだ売れてなかった時期は,J.D.サウザーとともにブラウンのアパートに住んだりしていた時期があったらしい.

See Also:

Grenn Frey - West Coast Rock


G

デヴィッド・ゲフィン David Geffen

ジャクソン・ブラウンを歌手/パフォーマーとしてデビューさせた人物.ブラウンにマネジメントをまかされると(1970年),彼は売り込みにレコード会社をまわったものの,色よい返事はどこからも得られませんでした.金をしこたま儲けられますよという彼の売り文句に,なら自分で儲ければいいだろうなど言われる始末で,結局彼はそのためのレコード会社を自分で設立します.アサイラム・レコーズです(1971年).

一説によれば,彼らの出会いはブラウンの送ったデモテープで,最初ゲフィンはそれを聴きもせずゴミ箱に直行させたのだが,もったいないと拾って自宅に持ち帰った秘書が自宅で聴いてとても気に入り,翌日ゲフィンに強く推薦した... なんてことになってます.

しかし実際はどうなんでしょう.ゲフィンは当時 CSNのマネジメントもやっており,ブラウンとは当時から個人的に付き合いのあったデヴィッド・クロスビーあたりが彼らを引き会わせた,と考えるのがなんとなく妥当そうだし,実際にそう書いてある記事もあります.ゲフィンという人は,これから売れる才能を見抜く嗅覚みたいなものがとても鋭いようだから,例のエピソードはちょっと作り話めいているように思えますね.

See also:

David Geffen - West Coast Rock

Asylum Records - West Coast Rock


ローウェル・ジョージ Lowell George

ミュージシャン.リトル・フィートのギタリストとして人気を得たが,ソロ活動を開始したところで心臓発作のため死去(1979年).

ジャクソン・ブラウンはステージでたびたび彼の曲を歌っている.またブラウンの 1976年の "THE PRETENDER" 収録の "Your Bright Baby Blues" では,彼のスライド・ギターの渋いソロが聴ける.1977年の "RUNNING ON EMPTY" ではヴァレリー・カーターとブラウンと3人で "Love Needs A Heart" を共作した.1980年の "HOLD OUT" に収録された "Of Missing Persons" は,彼の娘のために書かれた曲だといわれている.

1997年,彼へのトリビュート・アルバムが制作され,ジャクソン・ブラウンによる "I've Been The One" が収録された.

See also:

WAWON Music Club : Lowell George


マーク・ゴールデンバーグ Mark Goldenberg


H

ダリル・ハンナ Daryl Hanna


ダグ・ヘイウッド Doug Haywood


I


J

エルトン・ジョン Elton John

セカンド・アルバム "For Everyman" に収録された "Red Neck Friend" という曲でピアノを豪快に弾いているロッカディ・ジョニーという人物は,実はこの人なんだそうです.まぁこの話はゲフィンがおぜん立てしたんでしょうけど,エルトンさん自身も個人的にジャクソン・ブラウンのショウを見にきたことがあるみたい.


K

ダニー・コーチマー Danny Kortchmar


桑名正博 Kuwana, Masahiro

「哀愁トゥナイト」「セクシャルバイオレットNo.1」の桑名正博です.何となく意外な気がしますけれど,一時期彼は自分のショウで "The Load Out" をやっていたみたいです,歌詞も日本語にして.「ロード・マシーン」と題されたライヴ・アルバムでは,ジャケットも紫のライトを浴びたドラムセットがステージの中央に置いてあるという,どこかで見た感じの写真を使っていたので,たぶん時期的にはこの頃じゃないですかね.


L

デヴィッド・リンドレー David Lindley

ギターを始めとする,ありとあらゆる弦楽器演奏家.ジャクソン・ブラウンのセカンド・アルバムから彼のバンドに参加し,幾多の名演奏を残した.サムライが好きらしい.

1981年,ジャクソン・ブラウンの後押しでアサイラム・レコーズからソロ・アルバムを発表し,ソロ活動を始める.その後アルバムを何枚も発表し,自分のバンドや,ライ・クーダーとのジョイントで来日公演も数知れず.

ところでこの人いつ見ても,シャツもパンツも柄物を着てます,しかも派手な.無地の服は持ってないんでしょうか.

See also:

Welcome to TwangoBango.com


M

フィリス・メイジャー Philis Major

モデルの仕事をしていた彼女は,ジャクソン・ブラウンの最初の妻だった.法律上の結婚は1975年だが,その前年にはブラウンの長男イーサンを生んでいる.もっとさかのぼれば,セカンド・アルバム "For Everyman"の一曲 "Ready Or Not" は,彼とフィリスとの出会いの場面が下敷きになっているということだ.

アルバム "THE PRETENDER" の録音中に死去.自殺の真似事のはずが,誤って本当に死に至ってしまったらしい.


ネルソン・マンデラ Nelson Mandela

南アフリカ共和国の政党 ANC の議長だった彼は,政府によって27年間もの間,刑務所に閉じ込められていた.ジャクソン・ブラウンは 1996年のアルバム "WORLD IN MOTION" 収録の "When The Stone Begins To Turn" で,彼の解放を訴えている.その後 1990年 ANCは合法化され,彼も釈放された.1994年の総選挙の結果,大統領に選出されている.

他にもスティーヴィー・ワンダーや UB40 など,数多くのミュージシャンがマンデラの釈放とアパルトヘイト政策の廃止を求めて,発言したり曲を書いたりしている.そんな中で,リトル・スティーヴンらが中心となって制作されたアルバムが,"SUN CITY"だ.


N

パブロ・ネルーダ Pablo Neruda

1904-1973.1971年にはノーベル文学賞を受賞した,チリの詩人.ジャクソン・ブラウンはアルバム "THE PRETENDER" の裏ジャケに,彼の詩を引用している.愛と革命に命をささげたこの詩人に彼が惹かれるというのは,なんかわかる気がします."For Everyman"という歌の詞に影響を与えているという人もいます.

URLのご紹介.パブロ・ネルーダが自作を朗読します.もちろんスペイン語だし,正直言って何を語っているのかはよくわかりません.ただ,どうも説明しづらいのだけれど,惹きつけるものがあるというか.興味のある方は RealPlayerで聞いてみてください. "Pablo Neruda Reads" http://www.harperaudio.com/scripts/audio/AuBuild.plx?r=0694517100

See also:

Pablo Neruda, Portada

チリ大学のページ.基本的にスペイン語だが,一部英語のページも.

Pablo Neruda - Pagina dedicada a el

彼にささげるページ.作品が読めます.たぶん原文のスペイン語で.


ニコ Nico

アンディ・ウォーホールに見出され,ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとともにデビューした歌手.ウォーホールのクラブに出演するためのバック・バンドに,その時ニューヨークに来ていたジャクソン・ブラウンは雇われる.パラドックス時代の仲間ティム・バックリーの紹介だったようだ.

1967年に発表された彼女のアルバム "CHELSEA GIRL" には,ブラウンの "These Days" が収録された.


ニッティ・グリティ・ダート・バンド The Nitty Gritty Dirt Band

オレンジ・カウンティはロング・ビーチ出身の,カントリー・ロック・グループ.というか彼ら自身がカントリー・ロックと呼ばれる音楽の成立に大きく寄与しているようだ.パラドックストルバドールを経て人気者になるが,デビュー前の一時期にジャクソン・ブラウンが短期間だが在籍した.パラドックス以前からの演奏仲間だったようだ.

そうした縁もあって,彼らは初期のアルバムでよくジャクソン・ブラウンの曲を演奏している.ブラウン自身が公式には録音していないも含まれる.彼らの取り上げたジャクソン・ブラウン作品は以下の通り:

"The Holding", "Melissa" - "THE NITTY GRITTY DIRT BAND" 1967
"Shadow Dream Song" - "RICOCHET" 1967
"These Days" - "RARE JUNK" 1968
"Shadow Dream Song" - "DEAD OR ALIVE" 1969
"Jamaica Say You Will" - "ALL THE GOOD TIMES" 1972

See also:

Nitty Gritty Dirt Band


スティーヴ・ヌーナン Steve Noonan


O

尾崎 豊 Ozaki, Yutaka

彼がデビューした当時は,「日本のスプリングスティーン」みたいな捕らえかたが多かったと記憶しています.しかし実はブラウンからの影響も強く,とくに初期の作品には, "RUNNING ON EMPTY", "HOLD OUT" あたりからの影響が,そこここに見られます.また彼自身も,自分とジャクソン・ブラウンの作品とのかかわりを,いくつかの形で語ってもいます.

そういった曲の中には,聴き比べると思わず笑ってしまうようなもあるのですが,不思議とパクリだとかいいたい気分にはなりません.まぁここまでくると逆にワザとやったとは思えない,というのもあるのですが,何より彼自身が,ブラウンの曲をよく聴いて自分自身に真摯に受けとめているのが,よく伝わってくるからです.

むしろその当時,ジャクソン・ブラウンのファンを自称しながら,どうも本当に彼の音楽を理解しているのかなぁと思えるような人の言葉が,世の中には多かった気がします.そんな中で出会った尾崎豊には,ほんとうに嬉しく思ったのを覚えています.


P

パメラ・ポーランド Pamela Polland

歌手.ソングライター.ミュージシャン.トルバドールから一足先に巣立っていった人で(1968),ジェントル・ソウルというバンドとソロ名義で,メジャー・レーベルからアルバムを発表している.

グレッグ・コープランドとはもと夫婦だが,それ以前にブラウンと恋人同士だったこともあったらしい.ハワイのマウイ島に住み,今でも音楽活動を続けている.

See Also:

PAMELA POLLAND'S "Heart of the World"


リバー・フェニックス River Phoenix

俳優の故リバー・フェニックスがジャクソン・ブラウンのファンだったかどうかは知りませんが,彼の主演した映画「旅立ちの時」という作品は,原題が "RUNNING ON EMPTY" のようです.何か関係があるのでしょうか.


Q


R

ボニー・レイット Bonnie Raitt


エリザベス・レイノルズ Elizabeth Reynolds

"The Pretender" の謝辞に名前が出てくるこの人は,ツァー中イーサンの世話をしてくれていた女性らしい.


リンダ・ロンシュタット Linda Ronstadt


S

アダム・セイラー Adam Sailor

グレッグ・コープランドが,当時通っていた大学のあるサンフランシスコで知り合った.彼のガールフレンドの親友のボーイフレンドだったという.彼らはともに LAに戻ると,彼らのインド行きの旅にブラウンも誘い,彼らは 3人で旅に出た(1967年).まずニューヨークに向かい,コープランドとセイラーはそこから海外へ旅だったが,旅費のなかったブラウンはニューヨークにとどまり,スティーブ・ヌーナンのもとに身を寄せる.

その後旅先で,彼ら二人も別の目的地に向かうが,やがてセイラーは消息を絶つ.コープランドらが手を尽くして探すが結局見つからず,その後彼がインドのボンベイで死んだらしいという話が伝わる(1969年)

このあたりの物語は "From Silver Lake", "Song For Adam" などの作品に影を落としているといわれている.


ブルース・スプリングスティーン Bruce Springsteen

冬のボーナスで BRUCE SPRINGSTEEN: TRACKS 4枚組,買いました.実はここ数作ちゃんと買ってなったんですが,97年暮れに "No Nukes" 買ってから,またちゃんと聴かなきゃと思ってたんです.

まだ 1枚目ですが,いいっす,とても.トム・ジョードのツァーでの来日を見逃したのは,一生の不覚だったかなあああ.

See also:

Bruce Springsteenファンの伝言板


リン・スウィニー Lynne Sweeny

ジャクソン・ブラウンの2度目の結婚相手.1980年のアルバム "HOLD OUT" は彼女に捧げられたものだった.その翌年には息子のライアン・ダニエル・ブラウンが誕生するが,結局離婚.


リトル・スティーヴン Little Steven

スティーヴ・ヴァン・ザントという名前で,長らくブルース・スプリングスティーンの The E Street Band のギタリストだったが,現在ソロ活動中.南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策を攻撃するアルバム "SUN CITY" を制作した Artists United Against Aparthait の中心人物.

ジャクソン・ブラウンは,彼の曲 "I'm A Patriot" をしばしばステージで演奏し,アルバムにも収録した.シングルの B面では同じく "Voice Of America" を取り上げている.


T

スコット・サーストン Scott Thurston

モーテルズに在籍していたって聞いたことがあるような気がするんですが,本当なんでしょうか.


U


V


W

クラレンス・ホワイト Clarence White


ジェニファー・ウォーンズ Jennifer Warnes

映画「愛と青春の旅立ち」主題歌 "Up Where We Belong" をジョー・コッカーとデュエットして,ビルボード誌 #1やらグラミーやらとった人です.元々はこの人も パラドックスで歌っていた人なんですね.この曲のほかにもソロでトップ10ヒット 1曲,40ヒット 1曲があります.

ジャクソン・ブラウンとの縁では, "These Days" のカヴァーを '72年の彼女のアルバムでやっているほか,'96年にはディズニーの "FOR OUR CHILDREN" というアルバムではビートルズ・ナンバーをデュエットしています.

See also:

The Jennifer Warnes Home Page


X


Y


Z

ウォーレン・ジヴォン Warren Zevon


legend

一覧中の人名は,すべてファミリーネームのアルファベット順に並んでいます.


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