Something Fine : Alive In The World : Notes

notes いろいろ覚え書き


地名など

ハイデルベルク Heidelberg

現在ドイツ連邦共和国の都市.ジャクソン・ブラウンが生まれた当時はまだ統一前の西ドイツで,彼の父は米軍関係の仕事のため,家族とこの地で暮らしていた.


アビー・サンエンシーノ Abbey San Encino

セカンド・アルバム FOR EVERYMAN のカヴァー写真に使われた,修道院ふうの建物.ジャクソン・ブラウンの祖父が,昔ネイティヴ・アメリカンの作った煉瓦やら,どっかから拾ってきた石やらといったものを集めて作り,ここに住んだという.内部の写真を見ると,ステンドグラスがあったりオルガンが置かれていたりで,本当に修道院みたいだ.

ジャクソン・ブラウンは,ここで子供時代を過ごした.一時期オレンジ郡に引っ越すが,セカンド・アルバムの頃には,またこの家に戻ったようだ.


オレンジ郡 Orange County

ロサンジェルス郡の南西に接する郡.イメージとしては LA郊外の,比較的裕福な家族が住む新興住宅地という感じだろうか.ブラウン一家が越してきたのは,フラートン Fullerton という町.家の写真を見ると,日本の住宅事情からみればかなり大きな家に見える.プールもあったみたいだ.

ブラウン家はジャクソンが高校にすすむ前に,ここに引っ越した.アビーのあるハイランド・パークという街は労働者住宅街だそうで,子供の教育上よくないと判断したらしい.


シルヴァー・レイク Silver Lake

ファースト・アルバムに From Silver Lake という曲があります.「銀色の湖から」という邦題がついています.

調べたところ,LA近辺にこういう地名があるようです.ここには彼の借りているアパートがあったらしい.グレン・フライ,J.D.サウザーと住んだのもここだったとか.

From Silver Lake がこの地名と関係あるかどうかは不明です.歌の内容としては関係ないような気もしますね.


ルート101 Route 101


サン・ルイ・オビスポ San Luis Obispo

LAの北西約 200kmに位置する町.この地に原子力発電所を建設する計画が発表されるが,風下に大都市ロサンジェルスが存在すること,カリフォルニアの地震断層から至近であることなどのため,住民から激しい抗議行動がおこった.結局この計画は,そのために当初の予定より縮小されたものの実現し,現在でも運用されているようだ.

MUSE Inc. の呼びかけで開催された 1979年のベネフィット・コンサートは,ニューヨークで行われたにもかかわらず LA周辺のアーティストが実に多く参加しているが,その背景にはこの計画と,それが引き起こした不安があるようだ.

ジャクソン・ブラウンはこれら一連の行動に積極的に参加した.1981年には,抗議のため発電所メインゲートでの坐り込みに参加したところを警察に排除され,逮捕された.文字どおりの確信犯だったようで,法廷では不法侵入の罪状について争うことをせず,数日で釈放されるや,またも抗議行動に参加してふたたび逮捕されている.

拘置中のこと,警察官のひとりから彼は新しいギターを支給されたらしい.ともに逮捕された仲間たちのために,その晩と次の晩,彼は歌ったという.


カルヴァー市 Culver City

LA郊外の都市.ソニー・ピクチャーズの本社がある.スコット・サーストンが住んでいるらしい.


パラドックス The Paradox

オレンジ郡タスティンのフォーク・クラブ.1965年秋に開業し,ジャクソン・ブラウンはすぐここに出入りするようになる.まず客として,そしてパフォーマーとして始めてステージを踏んだのもこのパラドックスだった.ジャクソン・ブラウンの他にも,スティーヴ・ヌーナンニッティ・グリティ・ダート・バンドジェニファー・ウォーンズ... といったミュージシャン達が,この店に出演していた.

1996年のアルバム LOOKING EAST に収録された The Barricades Of Heaven には,この店を思わせる "Life became the Paradox, the Bear, the Rouge et Noir"という一行がみえる.


トルバドール Troubadour

LAのミュージック・クラブ.トルバドールとは中世の吟遊詩人のことらしい.リンダ・ロンスタット,ザ・バーズ,パメラ・ポーランドなど,ここの出演者にも後に有名になったアーティストは多い.

そのようなアーティスト達には思い出深い場所だったようで,ブラウンは 1977年にはこの店のためのベネフィット・ショウに出演しているし,ネッド・ドヒニーは彼のアルバム PRONE を,この店のバーテンダーだったジョン・バリックの思い出に捧げている.

この店は,まだ同じ名前で営業しているみたいだ.Yahoo!Mapsのこのページ に,思いっきり場所が出ています.ディレクトリも検索すると Webページも持っているみたいで,http://www.iuma.com/Troubadour/ がその URLです.ここの卒業生名簿とヘンリ・ディルツのフォトギャラリーは,一見の価値があるかも.


公民権運動


エレクトラ・ミュージック・ランチ Elektra Music Ranch


ローリング・ココナッツ・レヴュー Rolling Coconuts Review

1977年4月に東京・晴海で行われたイヴェント.捕鯨に抗議するという趣旨だったらしく,日本の音楽ファンの間ではかなり論議があったようだ.ブラウンが登場した LAセッションには,他にウォーレン・ジヴォン,ダニー・オキーフ,J.D.サウザーらが出演した.

ジャクソン・ブラウンの演奏曲目については,日本公演のページを参照.


スリーマイル島原発事故 Three Mile Island


ミューズ・インク MUSE Inc.

1979年9月彼らの呼びかけで行われたベネフィット・コンサートの模様はライヴ・アルバムとなって発売されている.


サン・シティ Sun City

リトル・スティーヴンら Artists United Against Aparthait が制作した,南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策の馬鹿馬鹿しさを訴え非難するアルバムの題名,そしてタイトル曲.

サン・シティは南アフリカ共和国に存在するレジャー施設.アパルトヘイト時代には,ここを利用できるのは白人だけだった.ここにはコンサートホールがあるが,そんな場所では演奏しないぜ,というのがこの曲の内容.MTV時代らしく,凝った映像のプロモーション・ヴィデオも作られ,盛んにオン・エアされた.

1996年,ジャクソン・ブラウンはコンサートのため南アフリカを訪れ,Sun City で二夜にわたって演奏した.


アパルトヘイト Apartheid

南アフリカ共和国で行われていた人種隔離政策.黒人ら有色人種は,参政権を与えられず社会生活のなかで差別されるばかりではなく,住む場所までもが白人と隔離され,決められた場所に移住させられた.そのため人種差別でなく特に人種隔離政策と呼ばれる.


チェルノブイリ原発事故 Chernobyl


ジャパン・エイド Japan Aid

1986年12月,東京の明治神宮球場で行われたイヴェント.東京放送主催.ピーター・ゲイブリエル,リトル・スティーヴン&ザ・ディサイプルズ・オヴ・ソウル,ルー・リード,ジャクソン・ブラウン&デヴィッド・リンドレー,ハワード・ジョーンズ,サンディ&ザ・サンセッツ,ユッスー・ンドゥール,スタス・ナミン,甲斐よしひろ,白井貴子... らの出演.

ブラウン&リンドレーの演奏曲目については,日本公演のページを参照.


イラン/コントラ問題 Iran/Contra Affair


[ Home ] [ What's New ] [ Words and Music ] [ FAQ ] [ Links ] [ About This Site ]
This page is maintained by Maeda Ichiro <michiro@somethingfine.com>.